オヤジの弁当
わぁが中学校の頃、爺様ど婆様が同時に入院してまった事があった。
爺様さは伯母が、婆様あはうちの母親が付き添う事さなった。
我が家はオヤジ、わぁ、弟の3人さなった。
掃除、洗濯はわぁど弟が協力してやるにしても、炊事はオヤジの担当。
その頃弟はまんだ小学校だはんで給食があったんだばって、弘前市は中学校は給食がね〜のさ。
したはんで弁当もオヤジが作ることに。
当時オヤジは地元のゼネコンで現場監督ばやってあって、ただでさえ朝早い。
それでも、わぁが朝7時に起き出して台所さ行ったっきゃ、朝飯はもう出来上がっていた。
テーブルの隅っこさは弁当もあった。
朝飯のメニューは、納豆に白菜がいっぱい入った味噌汁。
かき込んで急いで学校さ行った。
昼さなって恐る恐る弁当ば明げで見だ。
中身は「ゆで卵」「ぶつ切りの酢だこ」「厚切りのたくあん」「ちくわ」、そしてぎっしり詰まった飯。
食いながら考えだ。
昨夜、オヤジが帰ってきたのは10時過ぎであったな〜。帰っても図面見だりしてあったな〜。
朝7時前には家ば出だんだべな〜。何時に起ぎで朝飯ど弁当作ったんだべ?
この日がら約2週間、オヤジの作る弁当は中身が大体同じでった。
してもわぁは飯粒ひとつたりとも残さねんで食った。
お世辞にもバランスのとれだ弁当とは言えないものでったばって、ありがたくてありがたくて。
夕飯は弟ど二人で朝飯の残りの味噌汁ど魚肉ソーセージば毎日食ってあった。
しても弟も1回も文句ば言う事はねがった。
ただ、黙々ど食いながら、オヤジの帰りば待ってあった。
あの頃は、親さ守られであったんだな〜
今のわぁさ、あの頃のオヤジだけんた強さがあるべが?
「話っこ」へ戻る