親父がガンになった・・・



わぁがまんだ20歳の時、会社がら帰ったらいつも遅いはずの親父がすでに家さいだ。

その頃のわぁは、高校ば卒業してがらすぐ就職した建材屋で配達だのガラスの施工だのの仕事ばしてあった。(後に仕事を辞めて栄養専門学校に入学)

親父は地元のゼネコン会社で現場監督ばやってで、休みらしい休みもねぐ仕事ばしてあった。

いつもわぁより遅ぐ帰ってきてあったはんで「何したんづや」と聞いたら・・・

「鼻が詰まるような感じで、時々息も出来ね〜のや」と。

数日前がらそった症状があって、この日はそれがひどくて耐えられねがったらしい。

すぐ近所の医院さ連れで行ったら、明日にでも大きい病院さ行ぐようにって紹介状ば書いでけだ。

次の日「国立弘前病院」さ行って軽い検査して、良性のポリープだびょんと診断。

親父には「いわゆる鼻きのこって奴ですよ」と女医は笑顔で話してけだ。

1週間後に鼻から器具ば入れで切除手術ばした。もちろん簡単だものでったはんで大成功。

ところがそのまんだ1週間後に女医がら直接電話がきて、「ご家族だけすぐにいらしてください」とのこと。

母親どわぁど2人で行ったら「悪性でした。でも初期の段階なので手術で取り除けば大丈夫です。」って言われだ。

わぁは告知すがどうが迷ったばって、母親がいとも簡単に告知(笑)親父はポカンとして聞いであった。

弘前の大学病院で色々検査して、とうとう手術の日。

麻酔で意識がねぐなった親父ば病院の廊下で見送ってわぁは仕事へ。なんと、母親も畑さ行ったらしい。

仕事が終わって病院さ行ったら、その日は面会謝絶でそのまま帰宅。

さすがに母親は病院の待合室で夜ば明がしたばって。

次の日の早朝に面会さ行ったら親父の顔が・・・。思わず膝が震えだ。

包帯でぐるぐる巻きさされでいだとはいえ、その大きさがらかなりの腫れがうかがわれる。

もう社会復帰は無理だんでねべが?って考えるど言葉もでねがった。

それば察してが、手術に立ち会った医師の従兄妹が、「腫れはすぐ引ぐはんで、安心へ!」と肩ば叩いでけだ。

「このケースはかなり発見が遅れるのが普通だばって、国立病院の先生が検体を詳しく調べでけだおかげで早期発見さつながったんだや」とも話してけだ。


数日して腫れは引いだものの、転移の可能オ性はゼロではね〜はんで、親父はかなりしょんぼり。

退院して仕事さ戻ってがらも1滴も酒ば飲まないでいだんだばって、そごはわぁの親父。

社会復帰して半年後にはいつも通り晩酌しては「昔はな〜貧乏でや〜」といつものグダばまいでいだ(笑)

今はあれがらもう20年近ぐなるばって、ちっと酒が弱ぐなったばりで全く変わらない親父。

色んだ人が親父の命ば助けでけだんだな〜って感謝してます。

ただ、酔っぱらってよその自転車ば持ってきて、それば返しに行がさいるのがな〜( ̄o ̄;)ボソッ



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